人形と人間

妻の友だちからベッドが届いた。手作りのごついもの。子どもたちは先を争って寝たがる。
熱も冷めた頃、末の娘がベッドの隣の下を指して、ここに布団を敷いて寝てくれと言う。
「とうさん、この下で寝てクッションになって。」そういう意図。さもありなん寝相が悪い。うちの子らは寝る時と朝とでは、足の位置が180度違う。それどころか、寝てる布団が違う。川の字で6人寝てるので、転がれる範囲がだいぶ広いせいだろうか。
で、「とうさん、この下で寝てクッションになって。」といわれ、おいおい人間クッションかよと思いつつ、ベッドの上を見ると、ずらりとぬいぐるみが並んでいる。
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その端で、自分は落ちそうな広さがあてがわれている。
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笑った。計算ができないのか。落ちないようにする計算はできないようでありながら、落ちたらどうするか計算してぼくに頼んでる。計算する時のその基準のありかが彼女らしい。人形が中心なのだ。
それほど大事なものなのだ。人格をもったものとしてかかわっている。関わりの中で息が吹きこまれているとでもいおうか。アンちゃん(人形の名)を寝室に置き忘れたり、一体だけ部屋の端にあったりすると、「一人であんちゃんがさみしい」と言ってつれてくる。
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テレビを見る時はずらりとほかの子たちとならべて、テレビを見せている。ほんとうに生きてるものを相手にしているように心を配り、声をかける。
さすが将来なりたいものは「魔法使い」というだけある。