2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

おむすびの魅力

子どもはおむすびが好きだ。時折、今日はおむすびにして、と言い出す。幼稚園の給食で、主食を全然食べない「おかず食い」の子がいるし、逆の半分だけが空っぽになっている子もいる。ご飯が進まない子に、先生方が魔法をかける。魔法の粉は、効果てきめんで…

雪の愉しみ

また、雪でした。雪国生まれのせいか、雪はいつ降ってもいいものです。春の雪、園庭には彼岸桜がさいていて、そこにもうもうと雪がおおう。花びらか雪片か見まごう。2005−12−07に書いたような願望をひそめているぼくにとっては、ねがったりかなったり。つぼ…

数値化されないもの

この商品を何個売った、何人の人と契約を結んだ。仕事が数値として表される場合がある。何の免許を持っていて、どういうキャリアがあって、という具合に、言語化できる能力もある。数値化、言語化、は客体化である。その人のある部分を対象化したもの、つま…

客観語に親和性のない現実

野球の試合を最初から最後まで見たのは15年ぶりくらいだろうか。WBCの準決勝で、解説者が言っていたことがおもしろかった。実況中継のアナウンサーが、その時の投手のコメントを紹介していた、すなわち「スピードガンで計れる速さとは違う速さを目指し…

雪の神秘

雪が降った時の静けさって、何なんだろう!?

今日の月:西行がいる

願はくは花のしたにて春死なん その如月の望月のころ という西行の和歌は有名でもあり、西行という人を考えるとき避けて通れない、辞世の句とみなしてよいものですが、その「きさらぎのもちづき」がまさに今日の月ですね。 こむ世にもかかる月をし見るべくは…

ぼくが葬式を嫌いなわけ

人は空白にたえられない生き物なのだろう。訳のわからないもの、つまりそれまでの自分の経験や認識の範囲になかったもの、そういうものに出くわすと、色んな事を言う。あれこれと持ち合わせの思考をあてがってみて、分かった気になろうとする。分かれば、自…

さつきの 空をおがむことなく

産まれてまもなく、病気が発症する子どもがいる。小さな体で、大人もおそれる手術という大事にのぞむ子もいる。体を覆うほどの傷みに堪えて生きて行く子どももいる。親の愛情をいっぱいいっぱいうけながら、それでも死んでしまう子どももいる。 余すところの…

尺度:エコかエゴか

おまえ、田舎暮らしなんやから車の免許くらい取れよ。自分が移動すんのに、わざわざ他人わずらわさんなアカンねんで。いっつも運転手付きちゅうことやで。むっちゃ偉そうやな。 いやあ、ぼくは車に乗れるほど偉くないですよ。車に乗る資格のない人間ですよ。…

最短距離で月が地虫をそそのかす

啓蟄のころは体が変調を来すことが多い。その体調に意識が開くと、笑ひが止まらなくなつたり突風のやうに駆け抜ける感情が勃発したりする。 今の季節は、影がないほどに、月がてつぺんに昇る。

網と矢:聾学校にて。

声は網。目線は矢。そんなことを思っている矢先、聾学校の学校祭に行った。まず見たのは、幼稚園の子どもたちの授業。リズム遊びをしていて、思いの外にしっかりと音楽を聞き分けて動作をとることに驚いた。音楽というと語弊があるかもしれない。彼らは補聴…

網と矢:妙好人の宗教経験の場合

浄土真宗で妙好人と呼ばれる篤信の人達がいる。その中でも先鋭的な宗教者、浅原才市のエピソードが伝えられている。真宗という宗教の核心は信心である。信心とは、仏法を聞くことにおいてその真理に満たされる体験とそこから伸びてくる道のことである。それ…

網と矢:声が刺さるような語りと聞く体勢

「みなさん」と言って語る語りは、成り立つのか。どういう語りなのか。こういう問いを2−18のブログにあげていましたが、2−27に言ったように声が網のような性格だとしたら、そもそも「みんな」に話すということが生じやすい。そうすると、授業のような…