2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧
後期の授業で〈人間とは関係的存在である〉というテーマで、その一典型場面としてのコミュニケーションを取り上げ、さまざまな実験を行いました。話すには相手がある。声が届くとはどういうことか。一対一の場合でさえも、ちゃんと声は届いているか。実際の…
今日、安田寿子さんのドメスティックバイオレンス(DV)についての話を聞いた。彼女は、DV被害者のシェルター(一事避難所)を私費を投じて運営している勇気ある女性だ。 http://www.gender.go.jp/chihou_minkan/31/13.html DVの現状について、すさま…
頂いたコメントの中に、 自然x自然=自然 人間x自然=人工 というものがありました。この内容に関して異論はないのですが、×ってどういうことなのか。足し算も引き算も経験的にわかる。一つのかごに林檎が2つ、もう一つには3つ、全部で林檎はいくつ? 1…
一言いうと、百言返ってくる人がいます。そういう人には話をする気がなくなります、ね? この何回か、ちょっとそんな内容になっていて、一人でどばどばしゃべるわけだから、少なくとも対話的ではない。教壇に立つ人は、50分、90分、話す人になるので、言…
2-15にあげた、市販されているブックレットにおける拙稿「生命の思索―現代世界の根本問題と宗教生の究明」には割愛された2つの節と最後の小見出し一つ(生死即涅槃とは?)があります。冒頭部に予定されていた2節を以下あげておきます。というのも、昨日上…
年末年始にかけて生まれるということの妙を痛感しつつ言語化し、あるいは言語化されたものを引いたりしてきました。2月2日に生まれるということの事態に言及して親子のことを一瞥し、さらにイイホシユミコの磁器をみて家族というものの印象を若干述べまし…
きのうの月の話を幼稚園児にしようとして、「昨日の園からでる時、lいいものを見た。なーんだ」とたずねると、すぐに「月」と答が返ってきました。そして昨日の月を、半数ほどの園児が見ている。家の窓から、二階から、中には風呂から見たなどというおつな小…
「仏ということが空白になっている人が、現代では大半であろう。しかし、いのちが尊いと言いたいのなら、仏と同質のリアリティーでもってその穴を埋めなければならない。」と先日言いました。その穴を月が埋める。こういう声が聞こえてくるといいな。あ、月…
関西に出かけていた妻が、ある人の個展をみて感動して帰ってきて涙目で語り、おみやげにその人の磁器を買ってきてくれた。ぼくは器に感動するような繊細さを持ち合わせていないので、彼女が言うことを聞いてなるほどと思う。 それがこの器。イイホシユミコと…
猟奇的な少年事件などがあると、よく、校長先生が全校集会を開いて「尊い命を大切に」とかいったり、教育者からもマスコミからも「命の尊さを教えなければいけない」などと教育に要求があがったりする。 「いのちの尊さ」を「教える」だって? 誰が? 私がい…
同じ前提で成り立っていることを収集しても、ほんとうに学んだことにならない、と言いました。では、学ぶとは? 学ぶとは未知なるものに身を切り開かれること。 目新しいなにかを、旧態依然とした自分がつけ加えるのではなくて、新しいものに自分が変えられ…
学ばざる者、教うべからず。 仕事上親しくお世話になっている年配の先生の言葉です。 「先生」「教育者」という仕事に就く者にとっては、痛烈な言葉になるはずです。そして、絶えず肝に銘じておかねばならない事でありましょう。 とかく、「先生」は学ばない…
人間のために生まれた牛豚鶏は、いませんと言いましたが、その意味をもうちょっと説明しておきます。 いくら人間が食用として飼育している動物から生まれても、その動物の赤ん坊自身は人間に食われるために生まれたわけではない。「肉にするため」はその生き…
12月27日の出来事を以前に書きました。その時感じていたものと、同質のものをその数日後に感じました。詩です。(かの思いを触発したもう一つの文章はまたいづれ。) 下に上げる詩は(なんて言い回し)、同質のと言いましたが、それは歴史的な特殊性が強…