2006-01-01から1年間の記事一覧

いのちが大切なら、いのちが大切だと言うな

いのちが大切だとほんとうに思うなら、「いのちを大切にしよう」なんて言うな!

むなしいいのちだ、大切に

金正日を「偉大なる首領様金正日」と呼ぶのが流行ってるのは北朝鮮だが、ちょうどそのように、いのちを「いのちの尊厳」とか「尊いいのち」とかの枕言葉付きで言うのが日本では流行っている。 いのちははかないんぢゃないのか! いのちは虚しいんぢゃないの…

行為・関係性・業

もうこれ以上このネタで引っ張るのは今日でやめましょうね。 「罪を憎んで人を憎まず」、罪は憎むが実体である人は憎まない。その人とは、日本語を話し、日本的主情主義・日本的情緒を共有するかぎりにおける人である。そういうふうな人間のみを人間の範囲と…

善悪のタマネギ 芯が改心の希望

《悪人がいて悪いことをするのではなく、悪いことをするから悪人》という見方を採用しようという話をしている。その3回目。上の句を換言すると、《悪いことするかぎりにおいて悪人》。「罪を憎んで人を憎まず」ともいった。 ってことは、「人を憎まず」つま…

悪い行為を叱る

前々回の要点を一言で言えば、《悪人がいて悪いことをするのか、悪いことをするから悪人なのか》。後者の見方を、ぼくは生きたい。悪いことするかぎりにおいて悪人、とパラフレーズしておこう。 先日、幼稚園バスの前をふざけて横切った小学生がいたので、バ…

あ゛―

週一回奈良まで日帰りをしている。境線というローカル線に乗って帰るのだが、その線に乗り継ぐ駅は米子駅。岡山から伯備線で出雲行きの「やくも」にのると途中に米子があり、その次の駅は安来である。あ〜ぁ。 へんッ。ちょっと安来節発祥の地が見たかっただ…

悪者をやっつける正義

「怪獣をやっつける」と、いとも簡単に子どもらは言う。はじめからやっつけられるべき悪者として怪獣がいる。ピストルのおもちゃを自慢する子どもに向かって、それ何するの? とか、それ撃ったら誰かが痛い目をするよとか問いかける。すると、悪者を倒すとか…

見事な虹が出ていた。 昨日、わが園の発表会で、三歳児が「おおかみと七匹の子やぎ」のオペレッタをしたが、年少組二クラス40人ほどの子どもがみな子やぎなので七匹ではなく、七色としたところが先生方のうまいところ。虹色おおかみたちがどれほど可愛らし…

見ることの主体は何者か

そのあと段落ははもう、「私」だらけ。「見る」は必ず私によって行われる。世界とは私によって見られているもの以外のものではあり得ない。(こういうことは「主客の二元の世界観」でなければ何なのでしょう)。 見るとは必ず私が見るのだから、宇宙の眼も必…

池田晶子様へ

「虫の夜の星空に浮く地球かな」という句について、池田晶子女史の解釈を聞いているところです。 この句の面白みは「逆転の構図」だと言います。「虫の音を聴き星空を眺めている私が、虫の音となり星空となる」という逆転を「浮く」が端的に示しているとのこ…

「虫の夜の星空に浮く地球かな」をめぐって

虫の夜の星空に浮く地球かな 大峯あきら 以前ブログでも話題に上がり、ぼく自身エッセイ(『花はどこに咲いているか』第3篇)や論文で引いたこともあり、幼稚園で園児と群読したこともある、大峯先生の名句ですが、その解釈を池田晶子さんがしているエッセ…

『満月をまって』

「後の月」すなわち名月の翌月十三夜がもうぢきです。「満月をまって」というと連想するのは十五夜前後の月の名前。十四夜が「待宵」、十六夜は「いざよい」、十七夜「立待月」十八夜「居待月」十九夜「寝待月」。古人の、月との関わりが、月を待つこころが…

モクセイを身ごもる

木犀を身ごもるまでに深く吸ふ 文挾夫佐恵 金や銀の木犀が代わる代わる咲いて、天地一杯芳香が満ち、どこに行ってもあの甘い香りに襲われるので、嗅覚空間においては足踏みをしているようなもの。そんな季節がはや何処へか行ってしまった。木犀の世界は自分…

忘れ物はなんですか−『おじいちゃんがおばけになったわけ』

職場である幼稚園の若い先生が絵本を薦めてくれた。ジワーッと来て、ぽろぽろ涙がこぼれてしまったそうで、本屋で絵本を全部立ち読みしたのは初めてとのこと。成仏できなかったおじいちゃんが夜な夜な孫のところにおばけになって現れるという話(彼女はたし…

誕生日

二十歳になるときは十代とお別れをする気持ちになったり、やっぱりなにがしか大人の仲間入りするような緊張感をもったり、二十一歳に「なっちゃった」と感じたり、三十代に突入する誕生日は焦ったり、誕生日を迎える気持ちには色々あるようだ。 私の恩師が或…

子どもの問い(2)立待月のもと

月の出を墓場の一番高いところで、立って待った。月を待つ心が身を駆り立てて座ってはおれない。今か今かと待った。背伸びするような、そんな状態が名前になったのだろう。 ところで、息子が突如、一言。「天使と天狗どっちが偉い?」。

いざよふはまかり成らんとばかり風神席巻

天気のデパートのような日中だったが、夕方子らと薄取りをし(その余りのぬけなさに息子はおおきなかぶのお芝居を始め、彼はおじいさん長女はおばあさん、私はどういうわけか豚として呼ばれ、うんとこしょブー、どっこいしょブブー、と言ってようやくぬけま…

嵐の満月、珠っぽい

名月の今日、朝から嵐。これでは、雨月で無月だろう。それでも、保護者の集会の冒頭あいさつで十五夜の話をせずにはおれず、園児とは先日来「名月をとってくれろと泣く子かな」を群読したり、大学生にも月の句の話をしたり。園児が、今日は一番うさぎが見え…

一寸先は白い闇

今日も、朝霧。100メートル先が見えない。「一寸先は闇」、でも白い闇。だから明るい。普通、闇は黒いから不安なのだろう。黒い見えなさ。でも白い見えなさは仄明るい、底明るい。 どうして朝霧のなかに立つと、あんなにどきどきするんだろう。 真っ白いとこ…

子どもと彼岸花

幼稚園で曼珠沙華の俳句をみなで唱和した。その前に、100人ほどの園児の前で曼珠沙華を差し出して、これなんだ、と尋ねたら、真っ先に娘が「彼岸花!」と声を挙げた。彼女は、彼岸花をふだん、ががんぼ、ががんぼと呼んでいる。息子は、毒の話をしてから…

朝霧・彼岸花

きのうの朝、8時前に出勤のため外に出ると息子が水の粒が見えると言っている。空気中に見えるようなことをしきりに言う。ふーんと受け流して門を出ると、一面の朝霧。 霧はいい。いつもの世界が別天地になる。この世の様々に織りなされた、白々と見える脈絡…

おたまじゃくしVSげんごろう?

おたまじゃくしがわが家にいることは2006-08-27に話しました。ところがそのおたまじゃくしが見あたらない。蒸発? 水が減ったので、どぶ川の水を汲んできて、いっぱいにした。水草も増やした。それで、おたまじゃくしが見えにくくなった。しばらく姿がみえな…

めざせ赤ん坊の言葉

後期が始まった。一つは言葉についての授業。 言葉について話すのはむつかしい。話すのは言葉だから。言葉について考えるのはむつかしい。考えるのは言葉でだから。 「言葉で言葉を」話せば、言葉が二重になっている。それだけで複雑だ。単純な言葉、一重の…

子どもの問(1)

子どもが藪から棒に発する問ひは、おもしろい。間髪入れずに応へることもあり。答を留保して問ひをそのまま返すこともあり。感歎することもあり。答に窮することもあり。これから時折子どもの問ひを紹介しませう。どう答へますか。 庭で石で遊んでゐた六歳の…

夏でも秋でもないところのどよよーん

風は秋の方角から吹いている。梨を食えば秋が体にしみ渡る。それでも日中ばかりは夏が大きい顔をしてる。夏が空間に占める割合は萎縮していき、空気は秋の濃度が高まるばかり。秋と夏とのせめぎ合いに巻き込まれるとどよよーんとなる。 仕事を終えて夜、近く…

ゲテモノ食い

夜中に腹が減ったので、ごそごそと冷蔵庫を開けて、細長い揚げパンを発見。かぶりついたら、出てきたのはちくわ。チーズ入りちくわパン。うそぢゃないよ。

蝌蚪の大国

川底に蝌蚪の大国ありにけり 鬼城 蝌蚪(かと)というのはおたまじゃくしのことです。この句について毎日俳壇選者の大峯あきら氏は『花月のコスモロジー』(法蔵館)という著書の中で、村上鬼城を「近代俳句の最高峰をきずいた俳人」と評してこう述べていま…

感じる体 感じる自然

三瓶山で共に這ったみなさま、お元気でしょうか。「感じる体 感じる自然」というテエマでしたが、みなさまのお体、いかがでしょうか。三瓶からのおみやげであるかのように、帰って二日後くらいから、体が感じだしたのか、膝や腕がぷつぷつやかぶれでいっぱい…

大橋功の「時分の花」考

この春の発見、童謡「ちゅうりっぷ」の「どの花見てもきれいだな」、そしてみすずさんの「みんなちがってみんないい」にスマップの「世界に一つだけの花」、これらのことをとおして語られている事態、見えうる世界、それを何とか言葉にもたらしたい、そして…

縛らない「一つ」、囲わない「同じ」

「同じ」と「違う」、ボタンの掛け違い。「違い」の大切さ、その射程は5月17日に書いた。今日は「同じ」の大切さを。前回の補足。蛇足かな。 おなじ光を受けるということ。世界中の星が笑うというと、個々のことみたいだけど、そこでの関係性、或いは一つ…