2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

子どもの言葉(12)体と私

自宅から私の職場まで、娘が初めて歩いた。40分まではかからない位の所要時間。その道すがら娘のいった言葉が頗る興味深かった。「足は疲れたって言ってるけど、ウチはまだ歩ける。」 小学1年生の身に起こっていることが、こんなふうに気づかれ、表現され…

子どもの言葉(11)ダジャレ

小学生くらいになるとダジャレが好きになるようである。息子もご多分に漏れず、「校長先生ゼッコウチョー」をはじめ、よくダジャレを言うので、あんまり笑えないぼくは「あ、そう」程度の相手しかしないのだが、今日のしゃれには笑った。 学童保育といって、小学…

日曜はエデンの園

日曜日の午前中、庭で、落とし穴ほどに掘った穴へ息子がホースで水をためている。すると、娘が服を脱ぎ出す。タイト目のロングスカートが遊びの邪魔になったのだろうと思ったのだが、それどころぢゃない。何と、一糸まとわぬ姿に! そして笑ってる。「お風呂…

雑草の名

「雑草」という名の草はない。私もそう思う。花屋に売っていて、プランターなどに人為的に植えられて、花が終われば速やかに抜かれてしまう、必ずカタカナ名の花よりも、自生する「雑草」に、もちろん、惹かれる。 家の畑にキュウリなどを植えた後、その苗に…

問と答

《なんだこれは!》 満たされている。その充実は、しかし、時間における持続をも満たしはしない。 隙ができた時、問いの生まれる時、即ち、 《何で?》 問いは、閃きを呼び込む。隙は補完され充実に還帰する。 再度の着地が叶った時、最初の事実に遡り、かの…

世界世界世界

今回も、アジアンカンフージェネレーションの「ワールド ワールド ワールド」を聞いての雑考。 自分が変わらずにいて世界を変えようとするのをエゴイストと言う。その発想はギャラクターやショッカーの世界征服である。とはいえ現実の世界にだってそれはある…