子どもの言葉(28)塞がれると感じられてくる

食卓で、においと味の区別がついていないような話し方をした妹に、においは味とは違う、と長男坊。それに対してぼくが、においが分かんないときは味も分かんないから、味とにおいは全然別ぢゃなくて、結びついてるよ、と言いました。
ちょっと考えて息子曰く、それがどういうことかわかった、と。皮膚呼吸をしてるっていうことは、お風呂に入るとわかるってそういうことでしょ。
ものごとを考えるとき大事なことは、「それはどういうことか」(本質究明;多様な現象の中から本質を抽出する)と「たとえば」(具体化;普遍的な本質という見えないものの顕現としての形をとらえる)とです。「どういうことか」の抽象化がまだ足りないことを突っ込むか、「たとえば」を聞き出そうか考えていると、彼は具体例を、話と言う抽象化されたステージで言うのでなく、実験・実証しだした。
やってみるね、と言って鼻をつまんでご飯を食べだす。たしかに、においが味を作るのかななどと言いつつ、嫌いなものを鼻つまんで食べるのは、そういうことをわかってるからかなという具合に発想が及ぶ。
こういう、いくつかのステージをするすると繰り出してくる息子との会話が、ぼくにはたいそう愉しい。