老骨に残りし花

お盆前の炎天下、あれ? 炎天の下なのか、炎の天下なのか・・・・
うだる夕方の路地で、夫婦とおぼしき老人を追い越した。一台の自転車を翁が押し、その荷台に両手をついて寄りかかりながら、媼が歩く。その歩みは、止まりがちというか、止まっていて時折歩くといったほうがいいような、しかも止まっているかのような遅々たる歩みである。それもそのはず、翁はやせ細っていて、媼は更に細く、その足は私の細い腕ほどしかない。そのような足では、何かに捕まらねば立っていられない。震えなしでは立つことができない。そういう姿が歩いているのである。どこに向かっているのか、家か、病院か、それは知らない。彼女は車いすで押されてしかるべき状態に見える。けれど、うちにはそんな便利な道具はない、この自転車だってその代わりになるのだと言っているかのような姿である。それに、今どきなら自動車で移動するところであろう。しんどい歩み行きのさなか、なぜか二人は微笑んでいる。何の手を貸す術もなく、お節介する余地もなく、非情にも私は追い越して歩んだ。
いのちなりけり!」そして「夫婦なりけり!」そんな吃驚マークが炎天下をいっぱいにした。
炎天が彼女たちを一層みすぼらしく、そして輝かしく、見せたのだと思う。人は場所に於いてあるがため、いつも背景に照らされてある。追い越した先で草刈りをしながら、再び二人を盗み見た。「老骨に残りし花」という言葉が浮かぶ。骨と皮のような二人に、確かに、花があるのだ。
私ども夫婦は、あんなふうに夫婦になれるだろうかと、とめどない反省に滑り落ちそうになったので、鎌の先に意識を向けた。