大根が白く人参が赤いわけ

「だいこんだいこん なぜ しろい にんじんにんじん なぜ あかい」という歌を紹介してくれた松森先生が「なぜでしょう? わかる人いますか?」とたずねたという話を7月27日にしました。そのつづき。講座が終わり帰りそうになっている先生を足止めして、述べた応えは以下のようなこと。
「はたけのうた しょうじ たけし」の楽譜の次ページにまどみちおさんの詩が載っていた。さすがまどさん!と感嘆し、その弾みで応えが落ちてきた。


   ひよこがうまれた
         まどみちお

ひよこがうまれた
ぴよぴよ
ほんとにうまれた
ぴよぴよ
せかいじゅうのほしが
ぜんぶともって
わらった


ひよこがあるいた
ぴよぴよ
ほんとにあるいた
ぴよぴよ
せかいじゅうのはなが
ぜんぶひらいて
わらった


この笑いは白も赤も黄色もある笑いだ。だいこんは白だからにんじんは赤なのだ。にんじんが赤ということが大根が白ということなのだ。同時に成り立つのだ(その如く関わってあることがすでに、世界中が笑うということであろう)。世界中の花つまりにんじんやだいこんやせみやあなた、それが開けば色とりどり。一色ではつまらないでしょう。「おなじひかり」を受けるから丸かったり細かったりが照らされて、充実する。にんじんが赤く大根が白いのは、佛さまが色とりどりの世界を見たかったからぢゃないか。豊かな笑いを聞いて楽しみたかった。そうして世界を祝福したかったからぢゃないかな。
あの日は、もっと簡潔に応えたと思うけど、ま、こんなような主旨のコメントをしました。この応えはあんまり答えになってないかも。逆かな。答は応えになってない、かな。まあ、こうして「だいこん なぜ しろい?」という問いの形をしている詩がそのまま答になる。
「なぜ」は「?」だけど、そのかぎりは答を必要としている欠如態だけど、その問の答は「なぜ」という言葉になりうる。つまり「なぜ」といいながらは、それは「!」だ、ってことはアリである。その「!」には世界中の星が灯っている。