夏でも秋でもないところのどよよーん

風は秋の方角から吹いている。梨を食えば秋が体にしみ渡る。それでも日中ばかりは夏が大きい顔をしてる。夏が空間に占める割合は萎縮していき、空気は秋の濃度が高まるばかり。秋と夏とのせめぎ合いに巻き込まれるとどよよーんとなる。
仕事を終えて夜、近くの火事に向かう消防車のサイレンを聞きながら、自転車で家路に就く。ぽつりと当たったかと思うと、やにわに降り出す。モーレツに降り出す。ホースを指でつぶして水まきをする時の粒の大きさと勢いで、あるいは「バケツをひっくり返したように」、雨は激しくなるばかり。家に帰るまでにシャワーが浴びれてこりゃいい気持ち、そんな感触を楽しみながら心中はややおセンチ。何かを洗い流すようだったから。長かった夏とそこで繰り広げられた諸々のことを、洗い流すように? 夏休みを洗い流して、まっさらな二学期をはじめるかのように? 何かの始まりと終わりの分水嶺を具体化するかのように天より流れる水。
「ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みももう終わりいいいい」♪
しばしの感傷をも流すほど、叩きつけるように雨足が強まり、何度も自転車を止めた。目が開けられないのだ。おととい頃まで、蒸すばかりでいっこうに降らなかった。降り出したら、降らなかった分をまとめましたのでハイどーぞ、という暴雨になる。あわいとか、ゆるやかさとかを許さない両極端。地球温暖化と呼ばれる気候変動の徴表としてよく語られていた降雨パターンは、まさにこんなふうだったよな。
10分ほどの通勤路で、服を着たままプールに入ったかのように、ずぶぬれ。あー、気持ちよかった。