誕生日

二十歳になるときは十代とお別れをする気持ちになったり、やっぱりなにがしか大人の仲間入りするような緊張感をもったり、二十一歳に「なっちゃった」と感じたり、三十代に突入する誕生日は焦ったり、誕生日を迎える気持ちには色々あるようだ。
私の恩師が或る宴会でこんな話をした。
ノヴァーリスは言った。哲学とは、どこにいても自分の家にいるようでありたいという郷愁(Heimweh)である、と。ところで、故郷には三つある。一つは体が産まれた故郷。私にとっては遠州浜松。でもそこはもうすっかり変わってしまって行く気がしない。もう一つは、精神とか魂の故郷。私にとってそれは旧制第一高等学校。今はもうない。もう一つは「還浄」などというような、死んで行く永遠の故郷。それは、ぼくは失っておらない。
うろ覚えだが、そんなような話だった。準えて言えば、誕生日にも三つ、あるいは二つ、ある。私は修士論文で二つの誕生を究明し叙述したという自負をもっていた。でも、一般的に誕生日と言えば、体が出産された日のことのみを指すであろう。
大空から風が吹いていのちになった時、ストンと定まった焦点に空虚だった空間が充満する虚空になる。来し方行く末への問いは、どこにも行かないという終息の場所に打ちあたる。そういう誕生日もある。