悪者をやっつける正義

「怪獣をやっつける」と、いとも簡単に子どもらは言う。はじめからやっつけられるべき悪者として怪獣がいる。ピストルのおもちゃを自慢する子どもに向かって、それ何するの? とか、それ撃ったら誰かが痛い目をするよとか問いかける。すると、悪者を倒すとか、冒頭のように「怪獣をやっつける」とか言う。何で怪獣やっつけなきゃいけないの?何悪いことしたの?とたずねる。その答は、はっきり答えられないことも多い。少なくともピストルで悪者をやっつけるという答ほどの自明性をもってはいない。おそろしい自明性である。
もちろん、ウルトラマン仮面ライダー、なんとかレンジャーの影響を彼らは強く受けている。そういうヒーローものを批判すると、ウケがよろしくない。子どもに正義感を養うということを正当性としてぶつけてくる人も少なくない。
悪いことする前に悪者が決まっているのである。つまり悪とは実体であって行為ではない、という思想であろう。したことが悪い、それを改めろ、とは言えるが西元和夫であることが悪い、西元和夫を改めろといわれてもどうしたらいいのか。そんな困難な課題をひとはそうそう引き受けない。だから悪者は悪者のままである。つまり善と悪が固定している「二元論」的世界がそこに出現する。
罪状を問わないでいてあらかじめ悪者を定めて置くから、そのものに対してピストルを向けるのもやっつけるのも、何の問題もない。痛みなど感じる必要はない。そうやって「悪人」をやっつける「善人」の、どこに正義があるというのか。こんな幼稚な、独りよがりな正義を養ったって、イラク戦争する大人になるくらいのものだろう。
ウルトラマン仮面ライダーで「善悪二元論」を破ってやっつけられる者の痛みを共感する話があるのを私は知っている。しかし残念ながら、子どもたちが受けとめることの大半はそこではない。)