悪い行為を叱る

前々回の要点を一言で言えば、《悪人がいて悪いことをするのか、悪いことをするから悪人なのか》。後者の見方を、ぼくは生きたい。悪いことするかぎりにおいて悪人、とパラフレーズしておこう。
先日、幼稚園バスの前をふざけて横切った小学生がいたので、バスを止めてもらってその子をこっぴどく叱った。そのあとまたバスの乗り込んで、漠然と思いがめぐっていた。この子と次にあった時、あ、悪ガキだと思ってしまったら、そこで「非行少年」が作られていくんだろうな、とか。悪い行為は叱ったことでチャラ、とか。あ、「罪を憎んで人を憎まず」ってことかあああ、とか。それから、おれも以前、大人にこんな叱られ方をしたなあ、何したんだっけ・・・・とか。
このごろ、娘どもに「とうさんおこりんぼ」と言われる。すぐ怒るのはいけない。でも、ちゃんと叱るというのは大人の大切な仕事の一つだと思っている。
どうも最近非道くはみ出て叱られてばっかりいる園児がいて、叱られ慣れてちっともいうことを聞かないので、ぼくの一喝が求められているような状況があった。しかるべき(然るべき?叱るべき?)機会が目の前に来たので、その子を部屋の外にむんずと連れ出して、大きい声を出して叱ったあと、こんなふうに言った。
お前は悪い奴じゃないことをおれは知っている。悪いことをすることだってあるさ。叱られたら、はい、と言って直せばいいんだ。それなのに人に注意されても平気で悪いことを繰り返したら、おまえは悪い奴になってしまうんだぞ。