『1000の風』と『千の風になって』

『1000の風ーあとに残された人へ』(三五館)という小さな桃色の本が愛読書でした。祖母が自宅で亡くなったあと、その家の人や親戚の人にこの本を配ったこともあるくらいでした。四年ほど前でしょうか、「千の風になって」という本が出て、その読み人知らずの詩の新訳とともに曲が付けられ、本が相当売れたようです。詩と写真のみの前者を愛蔵していたぼくにとっては、解釈つきの後者は不必要でした。ただ「1000」が「千」になっているところは、よいと思ってはいました。その歌がなぜかここに来て大流行しているようですね。あの曲もなんか学校の合唱で歌うような曲というか変に牧歌的というのか、それで好きではありません。でもそれは好みの問題なのでどうでもいいことですが、私の中であの詩はもっと静かで荘厳な音楽として響いていたのです。
世界に一つだけの花」のように、今ごろはあの詩も仏教者を含めたくさんの人の語る題材となっているでしょうから、いま私の解釈は措きましょう。ただ、私にとってのあの詩の位置づけだけを示しておきます。かつて「生老病死の現在」という半期講義の「死」の授業であの詩を紹介したことがありました。しかも「死への生」「死における生」の後の「死からの生」というところでの具体例として、絵本『ほのおのとり』等とともに、とりあげたのでした。

ところで、わが幼稚園の先生がたも「千の風になって」の風邪を引いたらしく、つい口ずさんでしまっているようです。しかもあの曲が何かに似てることが気になってたよう。それがこないだ発覚。「とっとこハム太郎」の歌だ。それで、もやもやしてた先生がたは得心していました。すると、「♪わぁたしのおおおおお お墓のハム太郎♪」になっちゃいますね。