子どもの問い(3)のつづき

「空はどうやってできたの?」という息子の問いに対して、私はこう答えました。それは誰もわからない。科学者はいろいろ答えてくれると思うけど、それぞれ一つの考え方であって、きっとそうにちがいないというくらいのこと。ほんとのほんとはわかんない、と。まあ穏当な答でしょ?
ちょっと間をおいて、息子曰く「空の化石ってないよね?」化石? 空が石になるってことは・・・と言い淀んでいると、「化石って死んで石になること」と言う。そうか、それなら死ぬものが化石になるんだね。ぢゃあ、星でも化石になるけど、空はならないね。「ぢゃあ、星より空が年上?」彼は「年上」の語を、「人より蛇の方が年上、今いる生き物でいちばん年上なのはクラゲ。次がヤスデ」というような使い方をする。「それなら空は太陽より年上? デネブより?」うん。「ぢゃあ宇宙より?」うん。宇宙って星をぜえええんぶ集めたものだというなら、宇宙より空が年上。
なかなか面白い話になってきたでしょ?「創造して創造されないもの」「創造されて創造するもの」「創造されて創造しないもの」「創造しも創造されもしないもの」という四つの「自然の区分」を語った中世の神秘化エリウゲナが思い起こされます。息子は次いで「いちばん年上は阿弥陀様でしょ」と打ち止めをしました。かつて死におびえる幼稚園児の彼に仏の話をしたことがありました。その頃、アニメソングかなにかで「限りない」ってのがあったらしく、どういう意味って聞いてきたので、無限ということをちょっと話したこともありました。また同じような頃、阿弥陀仏って限りない命、限りない光のことだといったこともあります。それからでしょうか、彼は話のおりに「それって無限でしょ」というピリオドを打つようになりました。彼のような、無際限に何かを追うタイプの人に、無限という打ち止めがあることは大切なことだと思われます。
彼に限らず、究極なところの打ち止めが、それがなんであれ、あるということは大切だ。生きている全体を規定するから。如何? これを読んで下さっているあなたは打ち止め、ありますか。