うさぎの死

昨夜から今朝にかけて、園のうさぎが亡くなった。3月21日に足の変調が見つかって以来、先生方の衷心からの看護と介護を受けながらの、すみやかなる死だった。末期癌だったようである。2006-05-26のブログにも書き、昨年の入園式のあいさつでも話した、ぴょんちゃんである。明日の始業をまえに、こっそり身を隠すかのように逝った。介護のためしばらくいた玄関ホールの段ボールは姿を消し、新年度がはじまる。
見る力を喪って透きとおってしまったビー玉のような目、硬直して形を変えてしまった軽すぎる体。
午後死臭が漂いはじめた頃、娘たちが来た。4月から2年生になる息子が泣き出す。年長組になる娘は講堂いっぱいに響く声で号泣する。年少組になる娘の一人は、明らかにもらい泣きをしている(あとで埋葬の際に土をかけているのを見て、「オモシロイ」といっていたし)。もう一人の娘はきょとんとして、泣いている人々の顔を見回しあっち行ったりこっち来たりとちょろちょろしている。それにしても娘の号泣には参った。彼女はうさぎさんを抱くのが好きで、その強靱な後ろ足に「蹴られた」とか「引っかかれた」とかいいながら、服をうさぎの毛だらけにして上手にだっこして遊んでいた。それで、講堂から降りるときも、住み慣れたうさぎ小屋へつれて行くのも、園舎から数百メートルの菜園地へいく間も、ぼくが墓穴を掘っているときも、ずーっと抱いていた。
埋葬する前に、相棒のももちゃんのいる小屋へしばらくもどした。別れを告げるためにである。ももちゃんははじめ見向きもしなかったが、しだい近づいて、ぴょんちゃんの遺体をなめはじめた。一体彼女の感覚には、何が宿っていたのだろう。
昨晩はめずらしくうさぎのことを思っていた。身をかがめて水をあげようとしている先生のすがたが思い浮かんだ。そして、明日はぼくもだっこして水をあげようなどと思っていた。しかし、間に合わなかった。間に合わなかった。そんな時、とてつもなく後悔する。そんな気持ちを味わったことは一回二回ぢゃない。ぐずぐずしてちゃいけない。そして、明日は我が身なのだ。