邂逅の悦楽

出会って思わず、思いあふれるままにハグしてしまう。まるで遠距離恋愛してた恋人との久し振りの再会のよう。でも男同士。一言発するごとに打てば響くような呼応。しかもトーンは喜悦。そんな胸躍るひとときを、久し振りに経験した。
環境教育学会という学会があり、数年前まではよく発表をしていた。環境問題の深刻さに戦慄して、これを伝えて行く教育の必要性を感じた時、この学会を知り、入った。しばらくして、学会の会場が各地の教育大学で、会員に学校の先生が多いことにやっと気づく。先生という人種を目の当たりにし、先生ギライの自分を思い出す。ぼくの発表後に必ず出る質問は「今の話が環境教育実践の何の役に立つんですか」。それに応えたり、発表の冒頭に「これからする話は役に立ちません」と宣言して始めたりもした。学会に参加しながら、いつも居心地の悪さや居場所のなさを感じていた。
その人の発表は、たくさんの聴衆で立ち見が出るほどだった。OHPをつかっての体系的、理論的な話なのだが、どこかどこか固定化を拒み文字化を拒否するようなものが、躍り出てしまう。その語りにたくさんの聴者は無意識裡に将来的な何かを感じ取って集まってくるように思われた。終わって、質問する。意気投合するというより、課題を共有し問題に共鳴するが故の対話が繰り広がる。それ以後、理解者のあまりいないぼくにとって、この学会にいてもいいかなと思わせてくれたのがこの人との閑談である。すいすい進む話を聞いてもすぐ立ち止まってしまうような心性に、十分共感を示してくれた。その人は、東京学芸大学で環境教育をする先生に教育をしている原子栄一郎という先生である。
今回、学会が鳥取環境大学で開かれたので、仕事後に行ってみた。個人発表は終わった土曜の昼下がり、プロジェクト研究として「環境教育ガイドライン」というテーマのもと一室に大勢の人が集まって議論を交わしていた。かのガイドラインの内容を吟味するような発言が続く。あらためて、なぜガイドラインを作るのかという疑問が出された中で、ガイドラインを作ろうとする経緯や必要性を知った上で、その存立の根底から問うような発言をしたのは原子さんだった。ガイドラインは作らないという意見である、と。ガイドラインではなく地図とコンパスとジャイロスコープが要る。辞書を作るというなら、言葉の意味の深さや多様性を確認できるような辞書ならば要る。一枚にまとめられたガイドラインだが、一枚になるまでに悩まれた言葉選びの際、なぜその言葉を選んだか、その分岐点を示してもらった方がいい、云々。おお、原子さん今もちゃんと生きてる! 非常にうれしくなった。ちゃんと生きた思考が働いている。生きた思考によって入れる領域で生きてる。
その後すぐ再会ししばらく閑談する。今、大学人は大変な時代だ。大学は激しく動いているが、それを動かしているのは往々にして経営的発想であって学問的発想ではない。でもこういう人が大学にいるかぎり、学問すなわち真理の探究というものは根絶やしにならないであろう。
上等の刺身を二切れ三切れ食べた。そんな状態であろうか(慣れない譬喩)。多弁に走りがちなぼくだけど、無際限な弁舌を弄さずともよしとすることだってある。まだ食べたい。でも満ち足りていて、後味が相当のこる。
原子さんの書かれたものは以下に見ることができます。やや古いものですが。
「市民による環境教育」(『環境の豊かさをもとめて』鬼頭秀一編 昭和堂1999)
「〈私〉の環境教育観を探る」(『環境問題を学ぶ人のために』世界思想社1999)