わかった。それで?

「今、いのちがあなたを生きている」という言葉に出くわし、言霊的興奮に動かされてその言葉の授業をしたと、先日書きましたが、その際ちょっとしたアンケートもとりました(220人ほど)。ぼくはその言葉は説明が要らないと言ったのですが、むしろ説明を必要とする声が多いようです。ある言葉に触発されて頷かれる内容について、一般に言われることと自分のそれとの懸絶に気づくことはしばしばですが(「いのちは一つ」とか「生かされている」とか)、このたびもそういう結果になったようです。
尊い命を大切に」1.理解できる人72%、できない人16% 2.実感できる人36%、できない人51%
 「今、いのちがあなたを生きている」1.理解できる人24%、できない人62% 2.実感できる人29%、できない人60%
わかりやすいことが大切だという前提をもっている人は、かのコピーは失敗だと言うでしょう。わからないことが大切という前提の人は、この言葉は奏功していると言うでしょう。わかりやすいこと、理解できることが仮に大切だとしても、そこに実感が伴わないわかりという状況を加味して考える時、なおも同じように大切ということができるでしょうか。ことに、いのちなどという事柄に関して実感がないというのは致命的ぢゃないでしょうか。