『きつねのぼんおどり』

お盆の行事に疎いぼくは、いささかその由来を考えるお盆でした。で、『きつねのぼんおどり』という本を紹介しましょう。

きつねのぼんおどり (エルくらぶ)

きつねのぼんおどり (エルくらぶ)

傍観と体験はまったくちがう。「見る(わかる)」と「する」ではまったくちがう。このことをよく強調する。授業では、「叩く」ことをめぐって、「痛そう」と「痛い」はまったく違うことを身を以て証明している。何が違う? 次元が。たくさんの人が盆おどりという同じ空間にいるようだが、踊る人と踊りを眺める人とでは別の世界に属している。世界は一様な入れ物なのではなく、同じ空間のなかにいくつもの場が錯綜している。
そういうことが美事に表現されている箇所があります。
主人公は「むこう岸」の「森」で盆踊りに遭遇するが、「音はまったくきこえてこない。まるで音を消したテレビみたいだ。」無音の祭囃子を眺めていると、かっぱやてんぐのお面の人に勧められる。「はいっておどっていきよし」「おどらな なんも はじまらへん」。そういわれて踊りの輪に入るやいなや、「よいやせー どっこいせー」と急に音がきこえてくる。頁をめくることでこの転回が起こる。体験とは世界が開けること。体験とは世界が始まること。
画の宇野さんは、異世界の雰囲気を、あおみがかったあやしさでもって、描くのに長けている。刃物のような冷たさが基層にある感じがします。