中沢新一氏によるブランコの叙述

学生時代から何回か中沢新一の講演に足を運んだことがある。終わってから、彼を取り囲む女性の群れをかいくぐって質問に行くと、目がハートになったファンの本にサインしたりしながら、いつもちゃんと答えてくれて好感をもった。拙著を進呈したときはタイトルに興味を示し内容をざっとみて「若いなあ」とか、「ここからどう展開させるかが問題だ」というようなコメントをもらったように思う。
日本的なものの源流、「宗教」を必要としなかった、日本列島人の、文字によらない歴史や精神の軌跡をどうたどれるかというような質問をしたら、精読をすすめられたのが氏の『精霊の王』という書物だ。そこにブランコの記述があったので紹介します。

勢いよくこぎ出したブランコは空中高く舞い上がり、そのまま美しい円弧を描きながら地上に向かって落下していく。しかし、最下点で再び上昇に移り、そこでもうひとこぎすると、ブランコはグーンと勢いを増して、前にも増して空中に放り上げられていく。つまりブランコはそれに乗った人を、いつまでも空中に留めておくための装置として、考案されているのだ。
 ブランコをこぎ続けている人は、天と地の中間状態にとどまり続けることによって、天と地を媒介する存在となることができる。こういう媒介が存在するとき、天界と地上は離れすぎもせず、またくっつきすぎもしない、適正な距離を保つことができる。そこで古代の人は、昼と夜が同じ長さになる春分秋分の日に、日がな一日、広場や野原に組み立てたブランコに乗って遊ぶことを好んだ。ブランコをこぐだけで、その人は宇宙のバランスを制御する偉大な技に取り組んでいるという、ひとときの幻想を楽しんだのである。