The Birthdayのライヴに行きました

The Birthdayのライヴに行くはめになった。米子ベリエというライヴハウスも初めてで、いいとこだった。「ロックの」ライヴはやっぱり愉しい! 普段ではしないような体の動きが飛び出すので、関節も喜んでるだろう。

TEARDROP(初回限定盤)(DVD付)

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チバさん、夢を歌ってましたよ。過去に向かって「若気の至り」と口を滑らせてしまえる状況にいて、でもその若気は「時間とか法律は・・・そんなもんは誰かさんが勝手に決めたって」なんて歌えるくらい現在でもあり、そういう地点に立つひとの魅力。随所に見えます。
「忘れたか あの時を ぶっ潰しに 行ったじゃんか
吐く息が 白いから 生きてるって 思ったよな」(KAMINARI TODAY)
相容れない力に引き裂かれたところ灯るもの。
「神々を置き去りにしようぜ それくらい それくらい」
という歌詞にも十分現れ出ているもの、そしてその言葉が音楽として息吹かれるとき一層如実になるもの。チバ銅鑼声シャウトで「神々を置き去りにしようぜ」と歌い放ったあとの残響がミュートされるようなつぶやきで「それくらい それくらい」。逆ベクトルへの伸張。そこに、弛緩するようにではなく、ため息吐息のように、力無く。「それくらい」の奥行き、微妙な位相。絞り出される声に、虚しさ、はかなさ、せつなさ、ミヂメさがたまらなく匂っていて。
ところで、他人に対して、君は幸せだとか、ぼくは言わない(皮肉で言うことは・・・あるな。うん)。言うべきではない。幸せなんて、相当程度「主観的」な感じに引っかかって成立するものだから。てことは同時に、他人の幸福をうらやむなんてこともナンセンスになる。
でも今日、ひとに対して幸せって思った。息子に。我が子に対し、お前は幸せだぞなんて、まず思えるはずない。だって、おれが親だよ!
ライブ中、ほぼずっと真ん中の辺で音に突き動かされながら体をおどらせていたのだが、アンコール2曲目で息子を連れて前のモッシュの群れんとこ行って彼を肩車する。チバがそれ見てニヤリと笑う。そのまま一曲騒ぐ。‘The Birthday’Tシャツとキャップ姿の彼はぼくの上で拳をふりあげて、ぼくの怒鳴り声のこだまのように甲高い声はりあげてってノッている。二度目のアンコールを待つ間、肩車はしんどいのでおんぶに代える。
ハレルヤという曲(?)をヤリだす。静かな曲調で始まる。肩越しに息子の顔が見える。そのまま体を揺らしながら聞き続ける、やがて音量があがり出す。なんかぐにゃっとしてると思ったら、あれっ! 寝てるよ! この爆音の中で! しかもすやすやと。
父親に背負われ背中越しに「生チバ」を見ながら生演奏の子守唄で安らかにおやすみ。こりゃ贅沢だよなあ。いいなあ、こんなこと二度とないかもね。そしたら、コイツ幸せだな、ってちょっと思ったのでした。