子どもの言葉(14)機械といきものとの違い

「細菌と人って似ている。細菌が人の体にすみ、人も細菌に助けられている。」こう話しだした小3息子、話は展開します。「人間の体の中にある一つひとつが、生き物みたいで機械みたい。」私がつっこみを入れる、「生き物で機械ってのがよくわからない」。「赤血球や白血球は生き物みたいだし胃は機械みたい。(この区分はぼくの問いに無理矢理対応させた区分に聞こえる)生き物みたいで、機械の部品みたい。」
それに対してこう言った。「たしかに、人間の体は機械だって言う人たちがいるよ。体は機械で、胃や腸は部品。車のタイヤが悪ければ買ってきて取り替えればいいでしょ。それと同じで、確の腎臓が駄目になったら父さんの腎臓を切って縫いつけたらいい。(息子、「え?体切って手術?」と言ってさむーいというような身震いのしぐさ。)臓器移植っていうのが日本でも行われてるよ。体は機械だっていうものの見方、機械論的な見方って言うんだけどね。」
ここで、拒絶反応や免疫抑制剤のことは呑み込んで、こうたずねる。「でも機械論的なものの見方に反対してる人もいるよ」。朝の食卓での会話だったので、続いて、「機械といきものは違うっていうことだね。どこが違うか、今日考えてみて。仕事から帰ってきてからまた聞くからね。」と言おうと思ったが、そんな隙を与えず、上記の問いかけに対して息子は間髪入れず、答えた。
「人間と機械は違うと思うな。人間はけがをしてもほっといて治るけど、機械はどこかなおすところにもって行かなきゃならない。」
「おお!その通り!」私は驚嘆して、この会話をメモるために席を立つ、その背中に聞こえたのは長女の声。「たーちゃんは風と結婚するっていうもん」。
メモってる私の背後に、ちょっとしてから来た息子が付け足して言う。「このごろ機械みたいなひとがいるよ。ちょっとケガしたくらいでも薬塗ったり・・・」