吐く。何を?

きのう、遠くから珍しいお客さんが来てくれた。京都時代の学生さんで、「ちゃんと考える会」というサークルを一緒にやっていた人たちだ。そのサークルは環境問題をメインにして、その他種々のテーマを巡ってちゃんと考えようと試みていた。原発促進派と反原発派の話を聞く、学園祭のトレー回収と洗浄、グローバリズムと貨幣、フェアトレード生命倫理等々。
久し振りにあった学生さんと話が弾み、6時頃から3時頃まであんまり食べずにビール・日本酒・ワインと、しこたま呑んでいた模様。翌朝、やはり二日酔いで気持ちが悪いので吐いてみようと試みるが、出ず。吐いたらすっきりするだろうと何度も試みるが、出ず。
もしかして出るものがないのかなと思いつつ、指を突っ込み続ける。出ないんだからやめればいいようなものだけど。胃袋の中の吐くもの→吐き気→指つっこむ→嘔吐、ということなんだろうけど、胃袋はブラックボクスなので、中身があるかないかわからず、でも吐き気はあるので、指を突っ込む、でもでない。指を突っ込むことはまるで嘔吐ボタンを押すようなものでぐぐぐぐぐと逆流が起こる。出ればすっきりするのに出ないと何してるかわかんない。ボタンを押しちゃったから、催しだけはあるという状態なのか、でない嘔吐を何度も繰り返す中で、拒食症ってこんな感じかなとか、つわりってこんな感じかななどとボーっとしながら思う。
そしてしばしば語ってきた話が思い浮かぶ。私の私たるゆえんはどこにあるか。私のギリギリのところはどこにあるか。それなら私ぢゃないものをのけていけばいい。私を食べるものはいないので、食べる時取り込んだものは「私ではない」として、取りのぞく。はき出す。食べたものを時間を巻戻すように吐く、どんどん吐く、20年80年の嘔吐の山ができる。他に何が残るか。そんな話である。そんなこと思いながら便器と対面し続ける。
あまりにものが出ない試みの中で、嘔吐のステージが変わったと感じた。普通の嘔吐はスイッチを押すとのどの奥の方が震動して胃袋から押し出されるように雪崩が起こる。ところが出ないもんだから、震動する場所が違ってきた感じ。胃のそこの方が押し出されてくる。「おえー」「うえー」の声も止めることができず思いもよらない仕方で出てくる。体全体の震動の仕方もヘヴィイになってくる。そこから苦い薬のような味のする液体が出てくる。胃液なのかな。なんだか胃袋がひっくりかえってでてくるかのような嘔吐感。さらには自分というものに拒絶反応起こしてそれをはき出そうとしているかのような。こんな経験初めて。
夕方家に帰って寝ていると、妻に病院を勧められ、連れてってもらい「脱水」と書かれて、2時間ほど点滴、これも初めて。長い1日だった。誕生日にふさわしい、特別な一日

(写真は妻子が作ってくれた誕生日のケーキ。目で食べました。)