境港・東海・ウラジオストク貨客船就航

今や世界に研究のすそ野を広げている西田哲学だが、若かりし西田が日ごとに海を飽かず眺めているのを、不審に思った近所のおばあさんが何をしているのかたづねると「世界のことを考えている。海というものは不思議なものだ」と答えたという。
海を見るとき、その水平線のむこうにある見えない陸地を思い描いている。海によって、外国の国々とつながっている感がある。空でも、世界中とつながっているのだが、つながっている感は海のほうが強いであろう。海に乗り出す時の胸の高鳴りは、見えないものとの壮大な親密感から来るのかもしれない。
陸という「図」に海という「地」、その構図は逆転しうる。陸からの見方を海からの見方に翻す時、世界は別様に見えてくるはずである。別様というのは、強い一体感をもってということである。別れたところにいて、おのれと別のところにつなぐものを見出す場に対し、離れた所からでなく、つなぐ当のもののところにいて、そこから見ると、そもそも離れていない、距離を超える。
境港が韓国の東海〔トンへ〕、ウラジオストクと海の道でつながれた。舟を漕ぎだす期待感でこの道をわたる人がたくさんになって、そこから未来が紡ぎだされてくるといいなと思う。