一重の生;舌も一枚
「何かを信じておきながら、それに生きない。それは不誠実というものだ。(To believe in something ,and not live it, is dishonest.)」(マハトマ・ガンジー Mahatma Gandhi)
このことを、ぼくも色んな形でいろんな言葉で言い続けてきた。それを師匠から叩き込まれて、そう生きないといられなくなっている。
ある夜、たったさっき風呂から上がった息子の悲鳴が聞こえる。どうした!?とあわてて飛び出すと、裸のまま声をあげてへその上を抑えて泣いている。干してあったパンツを取ってはいたら中に蜂がいて刺されたというのだ。アシナガバチだったので大丈夫と思いつつ言いつつ、彼は痛い、しびれる、蜂をなめてたなどなど言いながら苦しみ続ける。蜂が、家の中にまだいると娘たち。虫取り網をもって捕獲しようとしていると、妻が「ママの大事なた―ちゃんをこんなに苦しめたヤツは許せない。殺しちゃって」というようなことを言っているのを聞いて、なおも裸で痛みに泣いている息子は「殺さないで―」と泣き出す。ほんまどっちで泣いてんねん?
以前スズメバチ退治の罠を作ったけど、どんどん入ったので二度と作らなかった彼。蜂の種類もよく知っていて、蜂を捕まえたりして遊んでもいた。ただ、自分を今苦しめているハチに対しても憎しみや怒りを抱かないのは、ほんとたいしたもんだと感嘆する。もしかして、ぼくが理想とする、『バーバラへの手紙』という本の父親のようになれる可能性はあるのではないかと思う。戦争というのは殺すか殺されるかだから、殺すのは仕方ない。この言い分はありだと思う。ただ、殺すくらいなら殺されるという稀有な人も、実際にいるのだ。ぼくはそうありたい(到底なれないと思っている)。戦場から娘に色彩の奇麗な絵を描いた手紙を送り続けたバーバラの父は、戦場で銃をもった敵と対面した。彼は空に発砲し敵は彼に発砲した。
- 作者: レオメーター,上田真而子
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妻は「やられたらやりかえせ」という「目には目を」式の発想を退けて息子を育てた。叩かれた相手に握手でこたえるように、息子に求めていた。叩く相手とその母親と息子とを前に「叩くより握手するほうが強いんだよ」と言いながら握手させようとする。握手しに行ってまた叩かれる(妻は当時のことを、叩くことが弱いことのように言われた相手の母親はいやだったんぢゃないかと振り返っている)。ぼくは妻の考えに同意しながらも、やられてもやりかえせない息子、そしてやりかえせない人になっていた息子は、ちょっとつらいんぢゃないかなとも思っていた。「子どものけんか」なら「やってやられる」という相互交換、つまりコミュニケーションによって大事なことを学ぶ。もしかしたら非戦の力も学ぶ。しかし、戦わぬことと戦いながら学ぶことのどちらがいいかは、今でも決着がついてはいない。
「目には目を」というのはもと、「目に損害を与えたものは目によって償え」という意味であったことは確認しておきたい。でも、人口に膾炙した意味で言っているガンジーの言葉でしめよう。
「目には目を」という考え方では、世界中の目をつぶしてしまうことになる(An eye for an eye makes the whole world blind.)