桜は「きれい」か!?

桜が「きれいだ」などというのは本当か。ほんとも何も、わざわざウソを言うわけがない。それはそうなのだが、「きれい」とだけ言って、あっちの桜がきれい、こっちの桜がきれいだなどと済ましているのは、私にとってはどうもおさまりが悪い。きれいと言うことでこちらの感性をロックして、きれいと言うごとに桜からの呼びかけを遮断しているように思えてならない。
桜の下にたたずむと、花びらが、時に壮絶に、時に閑かに落下して重力感覚を狂わせる粉雪のごとく、散るにつけて、立ち昇ってやまないのは、あやしさである。胸騒ぎや眩暈である。
坂口安吾梶井基次郎は桜を自分の向こう側において、審美的に眺めていたんでは書くことのできない作品を書いている。襲われているのだ。それは天才作家の特異な感覚だと言うであろうか。それならば、天才とは聞く人のことになるか。