アラカワノザイショトコトバノカベ

荒川修作のプロフィールの(1936.7.6.-)のあとに、(-2010.5.19.)が加わった。死なないためにと言い続けたおばけのような彼について、語るのは難しい。素朴な「追悼」はアラカワを前に、萎える。語りたいことは、たくさんある―拙著にもアラカワへの言及ページがあり、当時まだ青写真段階であった三鷹の天命反転住宅の外観の掲載を荒川さんは快く承諾してくれたーが、陳腐な思いや言い回しはアラカワを前に拒まれる。
「死なないために」と言い続けたけど結局死んだぢゃないかと言って済ましてしまうのは、久松真一は「私は死にません」と言っていたけれど結局死にましたと言った山内得立のごとくである。