悪行封じを誓わせる羽根、どう思う?

「黄色い羽根」をつけて子どもたちが帰ってきた。それ何? と聞くと、悪いことをしませんという羽根だとのこと。たちどころに違和感を覚えた。
赤い羽根は小さいころからおなじみで、馴染みだからというだけでなく、地域社会の中でなかば強制であるにしても、一定の効果を持っている。
緑の羽根は、植林をしたときに、その苗木が緑の羽根の募金から出ていることを知って身近になった。
黄色い羽根はいろんな主旨で展開されているようであるが、どうも娘どもが持ち帰ったのは「社会を明るくする運動」(鳥取県保護司会連合会)の企てであることは、彼女たちがくれた紙で知った。そこにはこう書いてある。「黄色い羽根は、わたしは、わるいことをしません!という、ちかいの羽根です」と。
小学校低学年対象なら、まだ一定の狙いのもと妥当な呼びかけかもしれないが、5年生である息子はすでに違和感を吐露したらしい。それを、キリスト教では云々と語ったらしいが、私はそれを聞いていない。
そして私はこの違和感を言語化する労力がない。その横着に胡坐をかいて、おたずねします。
この羽根、どう思います?