キヨシアリラン

カラオケに行った。ぼくは、字が出るものだから、歌詞が気になる。すっかり詩を書いてないので、そろそろ詩人の「はしくれ」とさえ言えなくなってきた感がある。自分を棚上げするわけではないが、Jポップの歌詞はたいていげんなりして、文句ばっか言ってるけど、だからこそ稀に光る言葉に出会うのは、うれしい。チャラの歌詞はいいなあ。「ハナミズキ」は、あんなすばらしくわけがわからず、主観的な歌詞が、なぜあんなに売れたのかふしぎでならない。
娘たちはアニメの歌を歌ってる。息子は、ちょっと前まで「しまんちゅうぬたから」を真っ先に歌ってたけど、今は韓国語の「アリラン」。独特のこぶしを聞かせながら、3回も歌った。しかも3回目の後には、「きよしこの夜」がつづき、そのあとには「国家をいれて」というリクエスト。まったく節操がないが、そういえば、きよしこの夜を平気で小学校で歌ってることに異議を唱えたショートエッセイを書いたことがあるので、それを以下に。

クリスマスの賑わいは、無思慮に同調できない者にはいささかつらいものがある。
日本人はいつからキリスト教徒になったんだなどという不毛な真面目さで非難するほど野暮じゃない。
サンタの姿が某コーラ会社の作ったイメージであることが象徴的なように、商業主義的なお祭になっているのを否定すべくもない。ただ、11月にもなればすぐ「ジングルベル」とやらが鳴り出すのは、あまりにせっかちな無節操といいたくなる。2ヶ月近くもクリスマスムードで持っていこうというのはいかがなものか。商売人としても無策に過ぎぬのではないか。
 宗教的な問題として感じたことは、息子が「きよしこの夜」を学校で歌うといって歌詞を持って帰ってきたこと。サンタがプレゼントをもってくるというのとは別の、「すくいのみこ」という聖なる次元を、口にしなければならない。それを公教育の場で説明する力量や覚悟があってのことだろうか。