子どもの言葉(34)風呂問答

「ねえ、うち浄土に行ける? 地獄怖いもん」前回のブログの言葉に先立つこと数カ月、上の娘が言った。彼女は地獄を恐れているということは、2009.4.9のブログにもかいたことがあるが、時々娘はそういうことを漏らすように聞いてくる。今日は風呂での会話。
「 いいこともするよ。こと・もゆ(妹たちの名前)に悪いこと言うけど・・・」「うーん」と私。「天国はまだ苦しいことがあるんでしょ?」「うん。」「お浄土はないんでしょ?」「うん。お浄土は何の苦しみもない世界だよ。」「いいなあ。いきたいなあ。あみださんといっしょだし。ずっとだっこしてくれてるんでしょ。…お浄土行ったらもう死なないの?」「うん。」「うちその答え聞く前に考えてた。浄土行っても死ぬなら、また次の浄土いくのかなあって。」「だってそれだったら、また死んぢゃうわけでしょ。何度も次の浄土に生まれ変わってたとしたら、ずっと不安でしょ」
そこで息子登場。
「それはちょっとつまらないかも。あみださんはある意味かわいそう。だってひとは死ぬから一生懸命生きるんだから。」「うーん。それは、生の側から、知らないはずの死のことを考えてるからそう思うんでしょ。分からないことを分かってることの中にあてはめて決めつけるのはよろしくない」「・・・それに死なないってことは生きてないってことでしょ。」この問いは、生と死という固定的な枠組みを一歩崩す問いですね。生でも死でもなく、「不生」だというようなステージへの一歩ですね。これが出てくると俄然「オモツロイ」(息子は「オモシロイ」をこう言う)。