ハレの日の大雪

正月は今でも「ハレ」の日だろうか。正月も日常生活の延長となった。仕事もし、消費もしカレーやフライドチキンを食べ、コンビニにも行く。
年神であれ何であれ、聖なるものを感じるためには、行為をやめること。生活の雑事を振り払って、閑を過ごさねばならない。しかし現代人にとって、そういう非日常的な時間が一番の苦痛なのかもしれない。
 ハレの日を喪って単調な日々の中で貧しくなり、いつまでもそれを改めようとしない人間世界を憐れんで、天は大雪をもたらした。何十年ぶりの大雪に、ひとはなすすべを失う。自動車は役に立たなくなる。流通機構はストップする。お店には商品が届かない。家でこもるのが一番。幸い正月だ。必死で雪かきする必要もない。何日かすれば融けるのが自然だ。
こうして、雪のおかげでハレの正月であった。聖なる力は、災害をもたらすというのも自然である。