教育と悪、そして理想

教育は、正しいことを言わねばならない。それがなすべき仕事であり、限界でもある。
正しいことは悪を作る。禁酒法がマフィアを生み出し、正しかったはずの戦争賠償がナチス台頭の温床になるということは、実例としてはズレているであろうか。
教育は正しくなければならない。それがつとめである。正しさは悪を誘発する。それが教育の限界である。

正しいことは、大切なことなのに、タテマエ化する。タテマエは剥落してくる。残されたものは、むき出しのホンネのみ。深みも奥行きもないホンネのみが、「現実」とみなされる。「現実を見ろよ」とか「理想と現実は違う」とか言う時の「現実」である。そうして教育は空疎なお説教になる。
理想は理想で、「現実」から疎外されている。それは直ちに「絵に描いた餅」とみなされる。
その反動のように、夢を持つことが奨励され、「夢はきっと叶う」と叫ばれている。
いづれいづれも、現実にそぐわないことばかりだ。
幼稚園の発表会で「未来少年コナン2011びさいバージョン」という劇を年長組がやった。コナンの世界は実に美しい。眩しすぎて、年をとってすっかり悪人になった大人には痛いほどだ。そういう理想が、大人にも必要なのだ。いくらでも落ちてゆく大人にとって、理想は引き上げの力になる。理想なしで生きられるほど、人はきれいぢゃない。理想なしで生きられるほど、生きることは甘くない。