脱「がんばれ」

オリムピックには感動したなあ。なんで「なでしこ」はあんなに感動するんだろう。負けてさえ、後味もほんとによくて、ウル目にもなるし。対比的に男子サッカーの後味の悪いこと。腹立つばかり。
ところで、がんばれニッポン。これはよくわかる。その同じ「がんばれ」を「東日本」につけるのが、やっぱりわからない。
「がんばれ」ギライが移ったのか、職場の幼稚園で若い男の先生ががんばれを他の言葉で言おうと試みていた。歌を歌っていて気づいたのであろう。代替案として出されたのは、「どこまでも行こう」。
僕も代替案を探していて、これに代わるいい言葉がなかなか見つからない。文句ばっかで代替案がないと弱いなあと思ってきた。がんばれってそれだけ多義的なのかなあ、と思いかけてたけど、そうぢゃない。なんでも「かわいい」といってしまう若い娘のようなもので、あらゆることを「がんばれ」ですましてきた、言葉への怠惰に過ぎない。言葉の怠惰からもたらされるのは感覚の鈍麻である。がんばれという中に「ねばれ」も「しっかりやれ」も「ふんばれ」も「お気張り」もあり、「どこまでも行こう」もある。それならば「どこまでも行こう」「ねばれ」「しっかりやれ」「ふんばれ」「お気張り」と言えばいいぢゃないか。