徳永進の舌鋒
境港市主催で「こころと食のフェスタ」というものが行われた。(http://www.city.sakaiminato.lg.jp/upload/user/00006454-1431.pdf)
そこでの徳永進先生の話がおもしろかった。鳥取市内でホスピスのある野の花診療所(http://homepage3.nifty.com/nonohana/)をされているお医者さんであり、作家さんでもある。『死ぬのは、こわい?』は大学の講義のテキストとして使ったこともあるが、診療所の経験が詩的なトーンのもとで綴られている好著である。
- 作者: 徳永進
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 2005/12
- メディア: 単行本
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でも、ここまで言えるのは単に面白おかしいってことではない。「今は栄養過多。栄養はいいものだけど過剰になるとよくなくなる。死んでいく人に対しても栄養過多」。家で死ぬことに対しては「家からは不思議な薬が分泌されている」。「生まれるとは完全受け身で選べない。」「根本の誤りは生まれたこと。」こんな思想は最近耳にしない。生まれてくれてありがとうだとか、なんか人間は大変いいものであるかのような前提に立ち、だからそれに至る誕生は大切なもの。感謝しましょうってなモードです。だからこそ、それを「誤り」と言ってのけられるのはよほどの体験と思想のうらづけがあってのことだろう。
「私の命ぢゃない。いのちが生きているのをかりてるだけ。だから人のいのちを助けるのはあたりまえ」
いのちいのちとやかましい世の中で、こんないのちの受け止め方を聴くことはほとんどないので、嬉しかった。この人は本物だということが分かる。
それで僕は、講演後徳永さんに話をしに行った。いのちが個体の所有物ぢゃない、一つのいのちが徳永する、西元するってことだという確認をしたら、東本願寺の以前のスローガン「今、いのちがあなたを生きている」が徳永さんの口から出てきた。(この一句をめぐってのブログは2007-6-22,2007-6-30)ますます、同志のように思えてきた。
とにかく笑いが起こってたことについて、よくここで笑えるなあってとこが多々あったことを言うと、徳永さんいわく「となりの人の死のことだと思ってるんぢゃないですか」とのことでした。年取ったからって死と向き合ったり死を受容したりってことには必ずしもならんってことですね。後日、メリシャカというイベントでも、コーディネーターの僧侶木下明水さんが壇上から「あなたたち死にますよ」と言ったら、笑いが起こる。この笑いなんだろうと思い木下さんにたずねると、「自分のことだと思ってないから」という徳永さん同様の答えでした。それはその通りだろうけど、その笑いにはまだ何かある感じがします。