玉露の余韻

京都先斗町にある茶香房長竹というところで、お茶を飲んだ。息子が中国に行って以来お茶にハマっており、買ってきたお茶がなくなったらしく、お茶を求めに入ったのだった。
世界三大紅茶の一つ、ウバも御馳走になった。いやあ、あんな紅茶飲んだことない。渋いんだけど、渋さが尋常ぢゃない。重い、力強いというような、渋さ。で、渋さのあとがさわやかでしょう?と長竹さんに言われたのだが、それはちっともぼくにはわからなかった。

そして、とどめに玉露玉露は飲むものぢゃない、と言い放って続けて以下の言葉が朗々と続く。「舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液はほとんどない。」おお! どっかで聞いたことのあるフレーズと思ったら、『草枕』とのこと。道理で。その前後を引用する。
「普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉(のど)へ下るべき液はほとんどない。ただ馥郁(ふくいく)たる匂が食道から胃のなかへ沁み渡るのみである。歯を用いるは卑しい。水はあまりに軽い。玉露に至っては濃(こまや)かなる事、淡水の境を脱して、顎(あご)を疲らすほどの硬さを知らず。結構な飲料である。」
この言葉を聞いたので、それを意識して、口に含んでみた。それはもう、先程に劣らない、衝撃を受けた。あんな経験を口はしたことがない。「咽喉へ下るべき液はほとんどない」ってわけはなく、しっかり喉を通ったけど、玉露って、そう言われれば玉の露なのね。露があんなに猛威をふるうなんて。
玉露は「余韻」だといわれたけど、余韻どころか、その後「メリシャカ」というイベントに駆けつけたのだけど、いつまでも口内が玉露だ。おまけに肚。スキっぱらで、重厚な液体が胃袋直撃って感じ。まるでテキーラとかラムとかをストレートで飲んだ感じの胃袋だよ