『不思議な少年』を読む
朝から酒飲んで何もしないで(出力しないで、つまりできるだけ筋運動はしないで)すごすのが正月だということで、久しぶりに読書をした。それも、ずっと読みたくて積読だった本を。いやあ、おもしろかったなあ。マーク・トウェインの『不思議な少年』。
- 作者: マークトウェイン,Mark Twain,中野好夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1999/12/16
- メディア: 文庫
- クリック: 59回
- この商品を含むブログ (48件) を見る
この学生さんはもちろん「読む人」の部類で、しかも相当読んでいて、関心も広い、ネタも豊富。ぼくの講義にもよく参加してくれて授業後に話すのが楽しみだった。豊富な読書量で培ったという面があるであろうが、人の話の理解にたけている。そして、大事なところをつかむのがうまい。ぼくが授業で、1,2回しか言わなかった、もっとも重要な言葉を漏らさず聞きとって、それを根本語だと見てとって、その言葉について質問してきたのは彼ぐらいであった。けっこうな深みまで話についてくるのでおもしろいし、しかもうなづいてるだけでなく反論もする。博学ゆえの観念の上滑りをとどめるべくていねいに事柄を止めてその襞をときおこしながら話すのが、浅学なぼくの役目だと思っていた。ただ、頭だけくるくる回す人ではなくフェアトレードのサークルでも活躍するような活動的な面ももっていた。
その彼に教えてもらった本をやっと読んだ。トムソーヤの冒険は、小学生の頃よんだが、それ以上に世界名作劇場のアニメで大ファンだった。その作者の遺作である。天使(悪魔)と人間との対話のような話である。そして、楽天的な初期作品に対する晩年の「ペシミズム」などと解説に書かれている。ぼくには、別にペシミズムには感じなかった。パスカルや神秘主義や、宗教の本道を行くような人が書いた本では普通にある感じだからである。だいたい、人間がいいものだという今日のような前提は古今東西に共有されるわけではない。人間がそもそもロクなもんぢゃないという前提もあるのだ。
人間にとって立つ瀬が奪われる天使の言動に、しかし天使にはそのダメな人間のことがわからないのだというのが、人間の側の最後の砦のようないい分で、それを著者は力なく何気なく主張していたようにも見える。
最後の章あたりは、彼自身の最後の思想なのか、熟読してみないと簡単にはわからない。それにしても没年1910年後の、二つの大戦を以て、この著作の輝きは増すように思われる。そして、1次大戦後「ニヒリズム」とか「実存主義」とかいうことが切実になったヨーロッパ人のみならず、戦後に生を受けている我々も人間に対する「ペシミズム」などと評されるよりもむしろリアルな人間の本質記述だ受けとめやすいのではなかろうか。