一人聞く

ひとり居る時の時雨のよく聞こゆ 大峯あきら
ひとりで居るということは大切なことだ。なぜなら、ものが聞こえるからだ。普段聞き逃しているものは多い。なぜか。おしゃべりしているからである。一人ぢゃないからである。人といるときの耳は人間の声を聞くためのものになる。すると時雨は聞こえなくなる。目が横に切れているように、耳も目も水平方向に開かれている。耳は人間社会を感知する器官になりさがる。
一人でいる時、そして際限のないおしゃべりが止む時、垂直方向からの音が聞こえてくる。人間社会をその底から支えている天地のいとなみ、雨、風、雷、雪・・・それらを聞くとは自己の源泉を聞くことだ。
「境港は自然が豊かで」などと言ったところで、それを「観光資源」と考えるなら垂直力はそがれている。
一人ぢゃないというメッセージばかりがかしましいところでは、無限なものは聞こえない。