命ひとつ

花咲けば命ひとつということを 大峯あきら
いのちという言葉は多様で多層である、はずである。魚は境港のいのちだなどという時、それは中核とか本質とかいう意味であろう。
なのに、この俳句の「命一つ」と聞くとたいていの人は思うのであろう。死んだら終わりである私のいのちはひとつしかない。桜が潔く散るようにたった一つの命をせいいっぱい咲かせていこう、と。
しかし、この句の真意は一八〇度違うところにある。自分の生き死にを超えたものと出会っているのである。死んだところにこそ輝き出る命を指しているのである。死んでいく有限なものはその限界を無限なものによって与えられている。無限なものは限界づけるという仕方で有限なものを成りたたせている。われわれが、みずからを限りがあると覚知する時、無限なものが貫くのである。限界を超えるので、一切の限りあるものー花も人も虫もーを、超えて貫く。一つのいのちが私として、あなたとして、その同じ一つのいのちが虫として、生きている。この、統べる一つの命を人々の魂が覚知できなくなっているのが現代である。が、「なくてはならないものは唯一つ」。
大峯先生にこの句をタイトルをもつ著書「命ひとつ―よく生きるヒント」が「小学館」の新書版という手に入りやすい形で出ているので是非お読みください。