息子の背骨

息子が中学校を卒業した。式後、教室に帰って担任より証書が手渡される。廊下で友人がたずねてきた、「確君(息子の名)、エジプトの文字書けるようになった?」。そういえば、あれは小学校の卒業の頃だった。エジプトにハマって、エジプトの神話・宗教、歴史を相当調べて覚えて、ヒエログリフをかけるようになろうとしていた。ツタンカーメンではなくトゥト・アンク・アメンと言う彼によりツタンカーメンでは意味がわからないことを知った。おりしも大阪で開かれていたエジプト展に卒業旅行と称して行ったりするほどの熱中ぶりだった。
今やその熱は冷めているが、「今は何にはまってるの?」とその人はついでたずねた。そこで「釣り。受験後毎日のように行ってる。音楽。ベース毎日弾いてる。」と答えて、ふと思う。釣りとロックか。ありきたりな趣味だなあ。凡庸になってきてんのかなあ。そしてちょっぴりがっかりな気分になった。
その後、教室内では「最後にみんなに言いたいことある人いない?」という担任の促しに応じる人はおらず、クラス委員のような人が4人ほど出て照れながら話しをする。いいクラスだったとか、卒業してからもまた会う機会があるといいとかそんなようなことだった。それが終わって「もういない?」と担任が聞くと、誰彼ともなく「たしかー」「ほら、たしかいけやー」と声がかかる。そうやって持ちあげられることが嬉しかったが、息子はそれに応えて前に出て、にやにやしながらふんぞり返って「拍手ー」と拍手を請求する。そのくせ、口火が切れなくてしばらく黙り込む。
「拍手で終わりか」などという冷やかしが出だした頃おもむろに口を開く。
「今日はたしか東京大空襲の日で、そういう亡くなった人たちがいる中で、ぼくたちは誰も死なずに残ってるんで……それはとても素晴らしいことだと思います。」
凡庸ぢゃなかった! 誰がこの「ハレの良き日」に死を語ったであろうか。哲学者の名前の一字を名前にもらっただけあって、その名に恥じない思惟に、今のところ、なっている。
たちどころい思い起こされたのは、小学校の卒業記念DVD。20歳の自分へのメッセージを一人一人がカメラの前で話すというものだった。「20歳の僕へ。今は何をしていますか。夢はかないましたか」「小学校の夢だった〜に向かって頑張ってますか」「お酒やたばこは吸わないでください。」などという話が矢継ぎ早に続くのであるが、息子が出てきて開口一番「こんにちは。生きてますか」。これを聞いたとたん涙があふれてとまらなかった。
小学校卒業から中学校卒業へ、この3年で変わらぬベースがあることが、露呈して、それが何より嬉しかった。これが彼の本質で有り続けてほしい。