子どもの言葉ー頭が悪いと感じない

高一娘が食卓で昔を語る。京都にいた頃の話である。2歳頃であろう。2階の部屋にテレビがあり、夜電気を消してテレビの青い光だけが灯っている状況が想定される。「トムソーヤの冒険」はファンが多いアニメであろう。ぼくも大好きだが、娘はそれ以上に好きであり、アニメの中で最高だという位置付けで、一体何度見たのだろうと思えるほど見ている。
その中の名シーンで、インジャンジョーが墓場で殺人をするけっこう怖いシーンがあるのである。そのシーンを2歳の自分が京都の家で見ていた時のことを語り出したのである。
「インジャンの、グサっていうのを一人で見てた。そん時は頭が悪かったから怖いなんて感覚がなかった。とーさんはとなりでグースカ寝てた。」
という証言だが、面白いと思ったのは、「頭が悪い」ということと「感覚」や「心情」との関係である。「頭がいい」人が感情に乏しいとか道徳的に難があるというのはよく指摘され、それを以て「頭がいい」ことを貶めるための言説としてよく使われる。お勉強ができること・知的に頭をぐるぐる回す速度が速いってことと、行為や体を通して生じる人間関係の諸々のことは全く別物だから、当たり前のことなのだが、人はいいものをいいと認めるのが苦手で、いいものにはすぐ妬みが絡みついて、なんとかあらを探して引きずり降ろそうとする、そういう心根が多くの人に巣食っているのであろう。しかし、彼女の指摘はいわばその逆で、知的な分化が行われていないところでは情意も未発達だというような指摘である。面白いなあ。今度脳科学者の先生にお会いする機会があるので、聞いてみようかな。