空の中

   初空といふ大いなるものの下  大峯あきら

初空というには時間の経った、それでも一月一日の空を飛行機で渡りました。だから、初空の下ではなく、初空の中にいたといったところでしょうか。雲の上に出ると、そこはいつも初空のようです。飛行機はいいですね。いろんな経験をします(一般に、飛行機の中で何か考えたとか感じたとか、気持ちがどうとかいいそうですが、ぼくは経験といいたい)。このたびも、富士が見えました。富士は日本一の山、つまり日本という国土は悉く富士のすそ野だということですね。国内線なので、滞空時間は短いのですが、もっと乗っていたいと思っていたのでした。
飛行機に乗ったから、空の下ではなく、空の中。ぢゃあ、地上にいるときは? そこも空の中だ。空を経験するとは、空−風―いのちのひとつづきを経験することだ。ということを拙著『花はどこに咲いているか』の第三篇「空のありか」(エッセイ)、第四篇「空−風−いのち」(詩)で書いています。単に本の一部分として書いてあるというより、それによって、あらゆる部分が書かれている源泉のようなものです。どうぞご覧下さい。
冒頭の句は俳人協会賞を受賞された『宇宙塵』(ふらんす堂)に収められています。