家族って?−イイホシユミコの磁器を見ながら

JackSpirit2006-02-12

関西に出かけていた妻が、ある人の個展をみて感動して帰ってきて涙目で語り、おみやげにその人の磁器を買ってきてくれた。ぼくは器に感動するような繊細さを持ち合わせていないので、彼女が言うことを聞いてなるほどと思う。
それがこの器。イイホシユミコという「磁器アーチスト」の作品。
彼女とは大学時代からの友人で、河井寛次郎の詩を教えてくれたこともあったので、当時から土が火をくぐって変身する器というものに興味を持っていたようです。その作品を初めて見たとき、彼女の書いていた線描的な絵がそのまま立体になったような印象を受けました。
めおと茶碗というものがありますが、それに子どもも加わったもの。家族茶碗といったら冴えないし、何と呼んだらいいかわかりませんが。子どもが多い人は子どもサイズのカップをどんどん加えればよいでしょう。
それはさておき、ある夜のこと。一つの単位のように、三つをおいてみる。なぜか切なくなる。
親が子を、子が親を、殺した結果が時折報道される。いたましく思い、時に憤りを感じもする。けれども、親子なのにとは思わない。わが身をかえりみれば、「親殺し」をしたことはなくとも、親の身命を削り取ってきたのは事実である。幼児虐待とは無縁ですと胸を張って言えるほどできた人間でもない。
それでも一応父親修行中なので、パパさんカップを使ってはみますが、わしづかみにはよいけれど、もうひとつ。ぼくの手に一番しっくり来るのは、子どもサイズ。取っ手(ほんとはなんて呼び名だろう)に指を入れたときのおさまり具合、重さ、大きさ、気に入っています。
とはいえ、彼女の作品を見たりもとめたりする人はくれぐれも、上に述べたことに拘泥されませぬよう。きっと、見、触れた人の数だけ、豊かに表情をあらわす器たちなんだろうから。
彼女の作品はこちらで。
http://www.vivova.jp/ceramic/ceramic_iihoshi02.htm