いいものを見た。月。

「仏ということが空白になっている人が、現代では大半であろう。しかし、いのちが尊いと言いたいのなら、仏と同質のリアリティーでもってその穴を埋めなければならない。」と先日言いました。その穴を月が埋める。こういう声が聞こえてくるといいな。あ、月も穴か。

今日、仕事を終えて門を出たら、満月。月は面白い。本当におもしろい。雲一つない一日で、朝の通勤時、息子に自転車の後部座席(笑)から「どうして雲がないの」という問いをかけられ、一日気になっていたほどの日和だったので、寒月という冴えはない、暖かげな満月でした。自転車を転がせば、左手にずっとついてくる。進行方向に立ちはだかる。物陰からおどかすように顔を出す。追いかけられて照らされて、隠れるように家に転がり込む。どーだ。ようやく姿は見えなくなった。姿を見えなくする家という覆いを、照らし続ける。照らし覆う。すると光が浸透する。それで、安心して眠れる。
ああ、主語のない文章だなあ。というか主語が隠れてるお陰で入れ替わる文章。ところで、月といえば月を見るより月影だ、という話はまたいつか。