網と矢:コミュニケーション実験

後期の授業で〈人間とは関係的存在である〉というテーマで、その一典型場面としてのコミュニケーションを取り上げ、さまざまな実験を行いました。話すには相手がある。声が届くとはどういうことか。一対一の場合でさえも、ちゃんと声は届いているか。実際のキャッチボールからはじめて、条件付けたり意図的な設定をしたりしながら、体験的に考えてもらおうとしたわけです。
たとえば、大勢の人を前に、一人に話しかける。その球を受けとってもらえるか。案外狙った相手が取ってくれず、その周りの人が取ってしまって、キャッチボールがなかなか成立しない。次に、身振り手振りを禁止して、目線と声だけでつながろうと試みる。さらに、受け手の側は目をつむってもらい、ただ声のみ使う。すると、受け手側は、声の筋道が感じられる。自分の横に来たとか、自分の前で落ちたとか。自分に当たったと思った人にその時点で名乗り出てもらう。これで一対一が繋がるのは相当困難になる。
これらの実験で、声とは、目線とは、話とは、どういうものかがだいぶ見えてくる。声は網。目線は矢。そう思われた。「声をかける」。声は、網を張るように広くかけるもの(正確にはかかってしまうもの)。「眼差し」。目線はその広くかかっている声の行く先を先鋭化して、刺すもの。それでは、矢としての声ってのはないものだろうか。そんな問いを発しながら、実験をしました。これは学生への課題という以上に、教壇に立つものとしての、決して話し上手ではない、私の課題であるわけです。