数値化されないもの

この商品を何個売った、何人の人と契約を結んだ。仕事が数値として表される場合がある。何の免許を持っていて、どういうキャリアがあって、という具合に、言語化できる能力もある。数値化、言語化、は客体化である。その人のある部分を対象化したもの、つまり一旦その人からその人を切り離すことである。そうしてデーターになる。履歴書がかける。大事なのは、それプラスアルファである。そのアルファはえてして対象化されない。宮澤賢治の履歴書なんてろくなモンぢゃないですよ。でも、あたかも履歴書に書かれた限りのことで人を判断するかのような判断を、ひとは案外するものである。
かりに仕事能力が劣っていても、その人がいるおかげで、職場にプラスの影響がある。それをどう評価できるか。数値化されないもの、空気を読む能力がないと評価されないだろう。
たとえば、上司が部下に好きなようにさせて、その責任は俺が取ると言う上司、逆に、部下の仕事に事細かに口を挟み、仕事の目的も手段も決定し、ペースも自分のペースしか認めず、失敗すれば自己責任というタテマエでホンネは責任追及、という上司。仕事能力に関しては、かりに前者は何もできず客観的な業績を上げられず、後者は仕事ができる人だとしたら、評価どうなるのか。どういう評価が可能なのか。
前者の仕事場は隙があって、仕事は粗いけど、人はのびのびしてる。後者のそれでは、できあがる仕事はきっちりしてるけど、人がギスギスしてる。どっちの職場を選ぶ? という話になるのかなあ。
スキがあるってことはゆとりがあるってことだ。今年この二つが結びつきました。