犬の名 猫の名

「名を呼ぶことの不思議」というサブタイトルで授業をしている。この数年来ぼくに取り憑いているのがこのことなのだ。名なき人の死を悲しむものはいない、と切り出して授業を始めた。
ところで、学生さんが『はれた日は学校をやすんで』というマンガを貸してくれた。はれた日は学校をやすんで (双葉文庫)そのはじめの章は「むかしのこと」というタイトルで、幼少時にひみつで子猫を飼い、しかもかわいさのあまりその猫を死に至らしめてしまって埋葬した、沈痛なる思い出が描かれている。カラーページで、淡い水彩の背景に貼り絵で輪郭だけのような猫が、話の内容ともよく合っている。
ただ、どこか腑に落ちない点があった。それは、「ひみつでかうことにしたそのねこの 名前を何とつけたかは もう覚えてはいませんが」というくだりであるとわかったのは、或るもう一つ別の話を聞いたからだった。
40才くらいの男性が幼稚園時代を回想して曰く、「ごうちゃんって犬がいたがぁ?俺たち仲間だったけん」。それから、その犬の顔の特徴、体の様子などを詳細に語り出す。かれこれ35年も前のはなしだ。幼稚園の飼い犬を仲間だというのがいかにも幼稚園児目線の感性である。やんちゃ坊主たちが犬と転げ回って遊ぶ姿が目に浮かぶようだ。そしてこの仲間だという親しみにリアリティーを与えているのが、ごうちゃんという名前に他ならない。話は、その名を呼ぶことから始まっている。名を呼ぶから仲間なのだ。もはや、その辺にいる誰でもいいような、ただの犬ではない。私との関係のうちに入った犬である。その犬は鎖につながれていなかったそうだが、いわば子どもたちとは見えない鎖でつながれていたのであろう。名を呼ぶ時につながる、実在する鎖だ。