私はよく噛む。噛むことに目ざめた経験があるからだ。その打ち上げ花火によって明るくなった世界を、すかさず「宇宙人による地球革命」という冊子にして(両親は自営の印刷屋さんなので)、知人に配った。革命という言葉を初めて自分の言葉として使った。この十年来、筋肉がつくなんて事はまずないが、あごの筋肉だけはついて顔がより四角くなった。革命が進行している証である。
コンビニおむすびを規格にするとして、一つ食べるのに何回噛みますか。数えてみてください。1022回を数えたことがあります。
噛むことを某専門学校で話をしたため、久しぶりにそんなことを思い出していた。その教室に入ったら骸骨の模型が待っていた。そしてその時はものの見方の重要性という話をしていたので、例えば食ということを肉で見るか骨で見るかという話から、噛むことに話が及んだ。
しかもその授業の前に、某大学で骸骨の模型に出会っている。そして、その直後の授業でトモフスキーの「骨」という曲をかけた。そして所が変わったにも拘わらず、骸骨のお出迎えだ。よほど骨付いた一日だった。
今日は舌の先に口内炎ができていて、食べにくい話しにくい日だった。さしすせそが腑抜けるようで、らりるれろも発音できず、普段にもまして学生たちは聞きにくかったろう。口の中を噛んでしまうのは疲れからというのは本当かしら。
このところ、骨は骨でも、骨と皮になった子どもたちとそういう飢餓状態を産み出す世界について、授業をしている。