感じる体 感じる自然

三瓶山で共に這ったみなさま、お元気でしょうか。「感じる体 感じる自然」というテエマでしたが、みなさまのお体、いかがでしょうか。三瓶からのおみやげであるかのように、帰って二日後くらいから、体が感じだしたのか、膝や腕がぷつぷつやかぶれでいっぱいです。まだまだ三瓶を感じろといわんばかり。
富士山の時もありました。たいして感動もしなかったけど、帰って数日全身筋肉痛。富士山の威力に圧されて伏していました。
体験というものは「痛い目に遭う」ということで、自覚的に遂行される場合が多い。負の体験が大事だということですね。それは、不快な体験でもあります。ところが、行きすぎた快適を求めるのが現代人の趨勢です。                      
「便利さの追求が環境問題を引き起こした」というのが現代人の一般認識と言えるほど、よく聞くセリフですが、そこでは、便利になったのはいいけれど、環境問題は困ったものだという心情かあるようです。そうだとしたら、何万回この認識を脳みそに滑らせたって、何にも事態は変わらないでしょう。だって便利さがいいことだって思ってるんだもん。便利というものは体を使わなくすることであり、五官を鈍らせることであり、自分の能力を機械に預けて肩代わりしてもらうこととひきかえにその能力を萎えさせていくことであり・・・いいわけないぢゃん。便利なんてつまらん、くらい言い放てないとねえ。結婚して引っ越しするときぼくらの選択基準は「不便なとこ」でした。
便利さの追求を是としながら便利さの追求が・・・と嘆くばかりの人が多いのですが、そうぢゃない人と出会うとまだまだ捨てたもんぢゃないと心強くなります。ここに未来がある、とさえ思います。22日23日と私立幼稚園の中国大会がありました。そこで、シンポジウムのパネリストだった安家周一という大阪あけぼの幼稚園の園長先生で、いわばこの業界のトップの方ですが、曰く、「《不快・不足・不便・不潔》につけて子どもを育てる。これができるのは幼稚園だけだ。こうやって育てないと、日本人はダメになる。世界で生活できなくなる」。そういう使命感をもって「不快・不足・不便・不潔」な幼稚園をやっておられます。やった! 胸のすく思い。