一寸先は白い闇

今日も、朝霧。100メートル先が見えない。「一寸先は闇」、でも白い闇。だから明るい。普通、闇は黒いから不安なのだろう。黒い見えなさ。でも白い見えなさは仄明るい、底明るい。
どうして朝霧のなかに立つと、あんなにどきどきするんだろう。
真っ白いところから人がおもむろに出てくる。白いところへ車が消えてゆく。霧で視界が狭くなる、つまり見える世界が狭められる。ところが、世界が深まって広がる。見えないものが見えるところに入り込んで、現実の真相が露わになる。いつもは彼方にある見える世界の果てが、見えるところまでにじり寄って来てくれる。わたしどもはおのれの来し方行く末を知らない。それを問う時、黒い闇が四方八方を閉ざす。問わない時いつだってそれは白い闇だ。
霧の中で花は茫洋と咲く。鮮烈に、色が存在そのもののようになる。輪郭がかすみ現実味は濃くなる。白の闇に寄り添われて、万物は、花も人も、健全さを取り戻す。
ドライヤーで真っ直ぐにした前髪に、自転車上ではや、水が滴る。まつげはしっとりと重くなる。白い蛾なのか、シジミチョウの一種なのかが、白い闇の化身である如く大量発生している。蜘蛛の巣のアーチが至るところに発生する。蜘蛛の巣が多いことに驚いていたら、園バスの運転手さんに、霧の水滴で見えるようになっただけだと教えられる。あ、そうか。朝のバスの車窓から園児たちと蜘蛛の巣さがしに興じる。なるほど、またも霧は見えないものを見せてくれる。普段からあるもの、そして気づいちゃいないもの。見せてくれないと気づけない。ふだんから、こんなに蜘蛛の巣って多いものなんだ。