嵐の満月、珠っぽい

名月の今日、朝から嵐。これでは、雨月で無月だろう。それでも、保護者の集会の冒頭あいさつで十五夜の話をせずにはおれず、園児とは先日来「名月をとってくれろと泣く子かな」を群読したり、大学生にも月の句の話をしたり。園児が、今日は一番うさぎが見える日だよ、と言ってくる。先日の話をちゃんと覚えていてくれる。子どもは、昼夜を問わず、本当によく月を見つける。先述の句さながら、「とって」と言いかねない。さわりたい、食べたい、行ってみたい、呼んでも来ない等々。そんな子どもたちと、だからこそ、団子をこねて月見をしよう。言うまでもなく、団子を喰うとは月を喰うのだ。十分月光にあてて、月がよく乗り移ってきたあたりで、ぱくりと喰ってしまおう。おだんごパンをまんまと喰ったきつねのようにね。おだんごぱん (日本傑作絵本シリーズ)月を飲むのもいい。京都にいた学生の頃、名月の日は清水で杯を買って、鴨の河原で月を浮かべて呑んだりした。
帰りし、園舎を出ると雲間に月が射している、むしろ雲を破って光を射してる。思わずほーっほーっと歓声が上がる。戻って先生方に「月があ出った出ったあ」と知らせる。仕事なんかしてる場合ぢゃない。月見だ月見だ。も一度外に出るともう雲で閉ざされている。今日の月見は、来ぬ人をあてどなく待つ、恋する人のような気持ちになるかも。
丑三つ時も過ぎた頃子どもが泣いたので布団を掛けに行って、自室へ戻ろうとする縁側から見えた裏庭、明るい。波打つように劇的な空にまぶしすぎる満月。にぎやかな雲だらけ、黒い雲なのにそこはかとなく後光をたたえているせいか、より勇ましい。たちどころに月は消え、突如顕れ出る。その早さが月光を一層眩しくする。瞬時に姿を現す宝の珠を黒雲が飲み込むと麒麟になる。荒海を架空の動物たちが猛進するように泳いでいる。そうそう、文字通り架・空なのだが、目の前の現実なのだ。
月見はいい。せかせかした毎日に、悠久を一筋とおす。やっぱり十六夜の明日は団子をそなえよう。