會津八一『鹿鳴集』随想

    唐招提寺にて
おほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへ

奈良の大学で講義をしているので、この歌を学生に紹介した。せっかく奈良にいるのだから、この歌の状況に身を投じて見るとよい。そこで「ものをおもふ」時、八一と同じ時空にいるかもしれない。
月影というのは奥行きのある言葉だ。月に照らされた物の影を指す。のみならず、月自体をも指すようである。光である月を影という。そこには月の、思索的感受があるように思われる。宗教的にあるいは心理的に、「闇を抜けて光」だとか、「光のほうを向いて」などというが、その光が影を作る。すると、影は光の徴である。影において、光を感得するのである。そこまで行けば、堕ちなくなる。どんな状況でも肯定的に生きて行ける。それで、徹底した宗教者は「光を見よ」ではなく「影を見よ」というのである。(『花はどこに咲いているか』第二篇「花から人へ」第一章「魂の男 野に咲く花になる(奥田民生)」151頁参照)
宗教的なことなどわからないという人でも、月見において似た事態を経験している。月見とは月見を見るよりむしろ、月光に照らされたあおく静謐なる世界を見ることであるから。


     夢殿の救世観音に
あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほゑむ

天地の間に一人たつというのは、何だか「神の前に一人立つ」というようなヨーロッパ精神風な印象を受ける。八一が近代人だった証なのか、あるいは万葉人でもそういう直観をもっていたのかは知らない。ただ、ひとが来し方行く末を思うというのは古今東西を問わないであろうし、どこからどこへが暗さとして現出したとき、人は暗さに宙づりされているおのれの今に目ざめる、つまり「一人立つ」のである。しかも立っている足元に底冷えを感じながら。
 そしてその時ひとは「虚しさ」を衷心から味わうのである。そこを八一は「さびしさ」と言っている。そういう場所にいて、底知れないさびしさの尖端で救世観音に触れた。そうすると、あの微笑が、かの「さびしさ」をなんと「ほほえむ」という、救いの笑みとして八一を融かした。
ぼくにとっては、あの微笑を直に見たこともあるのだが、そんな尖端に立っていなかったせいもあろうが、今でもあの微笑、思い出しても身の毛のよだつ類のものである。


     秋篠寺にて
あきしののみてらをいでてかへりみるいこまがたけにひはおちむとす

卒業した学生さんが、モグリで講義を聴きに来てくれた。駅まで一緒に奈良のいなかを散歩する。冒頭の八一の歌を紹介したら、碑がたっているということで秋篠寺に寄ってくれた。夏の涼しさが思われる、木々が覆う参道を通りつつ、その空気が関西へのノスタルジーを触発する。石碑をたどたどしく、でも、判読することができた。陽が落ちかけているその時に。学生に勧めていたことがはからずもわが身の上に起こった、さいわいなひととき。